妊娠高血圧症候群 ~ミニ太出産まで2

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これまでのお話:妊娠高血圧症候群 ~ミニ太出産まで1

絶対安静の6日間、そして転院

妊婦検診から即日入院となったハハ。本来は主に出産後にお世話になるはずの個室に案内され、絶対安静を言い渡される。

病室から出ること禁止、シャワー禁止(体拭きのみ)、食事は減塩食。

 

入院初日の夜、面会時間ぎりぎりに夫が会社→自宅→病院と飛ばしてきてくれ、必要最低限の荷物を持って来てくれた。簡単に病状と、これからの事、特にムスメ(当時小学1年生)のあれこれについて伝達しておく。(着替え・宿題・持ち物類)

ムスメについては、小学1年生という、まぁ大抵のことは一人でも出来る年齢であったことと、宿題といっても大したものが出ていない学年だったのが幸いした。ただちょうどインフルエンザ流行時期の冬季であったためこの産院の方針でムスメ(中学生未満)は面会NGであった。

そのため、LINEビデオ通話で自宅⇔病室で繋いだ時は涙ボロボロでかわいそうだった。
そうだよね、物心ついてからは母ちゃんと一晩以上離れた事なかったもんね。
(病室内では(電波を発する)通話はNG、ただしLANは利用可能であったため夫に持って来てもらった私のノートPCにLINEアプリを入れてビデオ通話を利用)

この産院での6日間は、比較的軽めの降圧剤(血圧を下げる薬)を飲みながら、味気ない日々でした。
少しでも血圧が上がらないよう、「テレビや読書も避けて」「明るい部屋禁止(カーテン閉める)」「病院からの減塩食のみ、間食禁止」。

その間、採血や1日の尿を蓄積して量や尿蛋白量を計測したり。血圧は数時間おきに計測。

そして朝夕の1日二回、お腹に心拍モニターをつけて(1回2-30分)、ミニ太(当時は胎児)の動きが問題ないことを確認頂いていた。
幸いミニ太は元気&よく動いていて、モニターの受信機からすぐに遠ざかってしまうためモニター装着時間が1時間近くなることも^^;あった。

私はというと、よくある「目がチカチカする」「むくむ」「頭痛・動悸・吐き気」といった兆候・自覚症状はありませんでした。
入院後半、「手が握りにくいなー(=血圧が高いから?)/掌がいつもよりふくらんでいる感じ」という程度。

 

入院2日たったころの夜、外来診察を終えた担当医の先生がより具体的に病状の経過と判断、これからを説明してくれた。
(以下覚えている限りを箇条書き;入院直後にご教示頂いた話も含む)

  • 妊娠高血圧腎症の具体的な原因は解明されていない部分も多いが、この症状から脱するには妊娠を終わらせることのみ。
  • ただまだ妊娠22週なので、お腹の中の赤ちゃんはもろもろの機能が未発達。そのため1日でも長くお腹の中にいさせてあげることが大事。
    とはいえ血圧は降圧剤を利用しているがどんどん効かなくなっている。そして何より尿蛋白の量が多すぎる。
    今後も改善/血圧が下がるようなことはおそらく無く、悪化の一途を辿ると思う。
  • 赤ちゃんの様子を見つつ、そして母体の様子を見つつ、妊娠を引き延ばせるところまで引き延ばす。
    ただし通常の妊娠週(40週前後)まで持つことはほぼ無いと考えてほしい。
  • 母体も子癇・HELLP症候群など、母体の命そのものに危険が及ぶ症状も発生してしまいかねない。その場合は酷なことを言うようだが、(赤ちゃんを犠牲にして)母体優先とさせてもらう。
  • この産院では精密な検査を行うにも限界があるので、週明け(=入院が週末にかかっていたため)に複数の診療科、かつ未熟な赤ちゃんが誕生した場合でもフォローできる(=NICUがある)総合病院への転院先を探す。
  • 転院先は各病院の受け入れ状況によるので、県外になる可能性もある。

 

残り数日は、ひたすらおとなしく、控えめに、お腹の中のミニ太に『まだ元気でお腹の中にいてね…』と願いつつ過ごしていました。

そして入院6日目の午後、「転院の受け入れ先が見つかったので、今から行きます。」と言われ、人生初救急車+産院の先生も同行して総合病院(幸い同一市内でした)へ転院することに。この時の血圧(救急車内で測定)は150/110台。

総合病院に到着後、産院⇔総合病院の産婦人科の先生方でてきぱきと引継ぎを行われ、産院の先生から「じゃあ、頑張るんだよ」と声を掛けて頂きお別れしたのでした。

 

続きます:妊娠高血圧症候群~ミニ太出産まで3

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